3月28日 最終日 しめくくりはシーサー

朝方から大粒の雨。ときおり雷が響く。於茂登の山並みに炸裂する稲光を眺めながら朝食。
朝食後にチェックアウト。レンタカーに荷物を詰め込む、郵送するダンボールは2個になった。
雨の中車を走らす。さよなら川平。助手席のももは窓にもたれて、黙り込んでると思っていたら、肩を震わせ始めた。
「ハナとモモと別れたくないし、うちのオレオ(これも犬です)には早く会いたいし、どうすればいいかわかならいの」などと涙をポロポロ落としている。おいおい、乙女心震わせちゃってるよ。相手が犬であるから穏やかでいられるようなものの...でも、これから、成長とともに...とオヤジ、ちょっと胸キュンしながら、「旅も人生も出会いと別れの繰り返しなのだよ」みたいなことを言って、平静を装う。

漆喰シーサー手作り工房「工房奈夢」はあやぱにモールを出て、そのまま少し歩いたところにあった。様々な漆喰でできたシーサーが迎えてくれた。ここでおかあさんとももで1個ずつ作る。ひなのを含め3人を工房に降ろし、郵便局に荷物を持って行ってから戻る。ひなのがぐずりだしたので、連れて散歩。のどが渇いていそうなのでA&Wでお茶。ひなのはオレンジジュースとポテトフライ。自分は相変わらずルートビア。おかわり何杯でもOKなんだって。うれしいね。

店のプレミアムグッズ販売コーナーでお土産にビーンズベアのぬいぐるみやA&WオリジナルTシャツなどを買う。ルートビア・ジョッキがかっこよくておみやげに欲しかった。数年前はおみやげとして売ってたはずだが、このコーナーになかった。諦めないで、おかわりをもらうときに店のアルバイトのおばちゃんに聞いてみた。
「前は売ってたよね?今は売ってないの?二つばかし欲しいんだけど」
と言うと、ちょっと待ってて、と奥に引っ込んでから
「数ずいぶんあるからええよ」と二つ包んでくれた。聞いてみるもんだ。マニュアルから1歩も出ることのない東京のファーストフード店では考えなれない対応だ。・・・と、ついつい内地と比較するのが癖になってしまっている。

シーサーを40分くらい自然乾燥させてから着色。全体の行程は3時間から4時間。他のお客さんの中には2日間かけて作っている大作もある。シーサー作りを指南してくれたお姉さんは新潟出身の人らしい。沖縄を訪れてシーサーに魅せられ、住み込んで創作に打ち込む毎日。「ものつくりが大好きで、石垣に住みたい」なんて言ってるももには憧れではないか。リゾート『はいむるぶし』の施設内のシーサーも手がけたそうで、写真を見せてもらう。筋骨隆隆で、若々しく、猛々しい若者のシーサーと言った感じでかっこいい。
シーサーの色塗りを待ってる間、シーサーの写真集を見せてもらう。
そもそも、赤瓦の職人が、余った漆喰と瓦で、サービス的に屋根の上にシーサーを作り始めたのは、そんなに遠い昔のことではないらしい。作風は当然十人十色。通は「このシーサーの感じはどこどこの誰々さん」なんてわかってしまうらしい。

シーサーのスライドショー


元は、日本本土の神社仏閣の守り役の「狛犬」と同様、中国から風水の考え方と同時に伝わったとのこと。
モチーフは獅子、ライオンである。ライオンの魔よけという点では、さかのぼれば古代オリエント文明にまでたどり着くという。ピラミッドを守るスフィンクスとつながるなんていうから、何だかわくわくしてくる。写真などで見るシーサーは、魚を咥えてたり、野球のボールを踏んづけていたり、ピースをしているものまであって、見ていて飽きない。魔よけなんていっても、底抜けの明るさがあって、ユニーク。なんだか沖縄のシーサー文化には魅せられるものがある。

空港で遅れているJTA便を待ちつつ、シーサー文化に思いをはせる。そういえば、自宅の玄関を守ること10年選手の漆喰シーサー、その昔、那覇の国際通りで手に入れたものだ。先日の暴風に台が倒れ、かなり負傷してしまっている。忙しさにかまけて、放置したままになっているではないか。と思っていると搭乗案内の放送。
「さあ、帰ろう。帰ったらまずあいつを手当てしてやらなきゃな」
さらば石垣。また来る日まで。今度来るときはももにダイビングのジュニアライセンスを取らしてこよう。ひなのはまだ先の話だが、家族で潜りに来れたら楽しいだろうな。ヨナラ水道でマンタをまた見るのだ。家族で。こうやってささやかな夢が増える。オヤジ、がんばって働かないとナ。